引き寄せの法則の大きな間違い

あえて否定する必要もないのだけれど、どうにもおかしな方向へ進んでる人も多いので、引き寄せの法則のおかしな点をちょっと書いておくのだ。

一般的には、成功をイメージすれば成功したり、お金持ちになる自分を寸分も疑わなければ、お金持ちになるっていうのが、この法則を肯定している人たちの意見。

肯定派の中には、もうちょっと別の見方をしてる人もいるけど、そっちは少数。

でもですね、人間がいくら思考を巡らせても、引き寄せられないものはやって来ないのだ。

空を飛ぶことを信じて疑わなくても、空に飛びだせば重力に引かれて落下してしまうし、サンタクロースを信じて疑わない子供もいるけど、サンタクロースが実際にプレゼントを持ってくることはないし。

震災の津波に襲われた時、危険だと感じていち早く非難した人が救われて、大丈夫だと考えた人が命を落としてしまった。

似た性質のものは確かに引き合うのだ。

でも、人の思考で何でも引き寄せられるというのは、あまりにも無責任だと思う。
自分の子供が障害者になるように願ったり、事件に巻き込まれて命を落とすことなど願う親はいないからね。

人に不幸が訪れるのは、誰かが願ったわけじゃない。

引き寄せの法則っていうネーミングは、欲望から生まれたもの。

元々あったのは、『似た性質のものが引き合うって法則』。

これは、AとBが似た性質を持つなら、互いに引き合うってこと。

でも、引き寄せの法則はどうだろう?

この法則は、Aが一方的にBを引き寄せようとしている。

『引き合う』ではなくて、『引き寄せる』わけだから。

最初にこのネーミングを用いた人は、確信犯だったと思う。
『引き合う法則』なら、本は売れなかっただろうね。

『引き寄せよう』という言葉は、一方的に執着している状態。
これは良くないよね。

でも実際は、この言葉によってさらなる執着にまみれ始めた人が出てきてる。

何かを手にしようと努力している人がいたら、「頑張ってください」でいいと思う。

「それは、引き寄せの法則で……」なんて言わなくていいはずだから。

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執着を捨てる

例の元少年Aの出版には、とっても腹が立ったので勢いでブログ書いちゃったけど、今読み返すと、自分の怒りの感情が吐き出されたせいか、かな~り冷静になれる。

怒ってた自分がどこかに消えたみたいに……。

あ、もちろん、あの出版は良くないと思う。

でも、それにばかり執着しているのは、良いこととは言えない。

いろんな宗教があって、それぞれいろんな教えがあるけれど、欲望に囚われるなとか、煩悩を捨てると言ってるのは、執着し過ぎてはいけないということだと思う。

モノや過去に執着すると、自分にあるはずの基準が、その執着しているものに移ってしまう。
執着しているものの動きによって、自分の方が動かされてしまう。
これは、自分らしく生きているのとは違うよね。

元少年Aは、自分の犯した犯罪に今でもずっと執着し続けて、結局離れられずにいることになってしまった。

たくさん反省し、罪を償い、自分が生かされていることに感謝していれば、こういうことにはならなかったと思う。
自分の欲望を捨てきれず、これから先も、それにずっと執着したまま生きていくんだろうね。

人間だから、怒ったり、悲しんだりすることはあるし、そういう感情も出していいんだと思う。
いや、自分の中に押し込めるくらいなら、出した方がきっといいはず。
(誰かを傷つけるようなのは、あんまり良くないけどね。)

ただ、そういう感情を出し切ったら、その執着も手放さなきゃいけないよね。
それが、自分の中の基準を保ち、今を生きることにつながるから。

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宇宙人?

いろいろ変わったことを考えるのは昔からなんだけど、宇宙人ってはっきりした形を持ってないんじゃないかなって思うのだ。

最近夜中にパチッ!って目が覚める時があるんだけど、透明なんだけどくるくる回る何かがいる。
そいつがいると、決まって頭に中にノイズが入るんだよね。

『なんだろう?』ってずっと考えながら見てるんだけど、じーっと見てるうちに目が疲れてきて、瞬きしたり、目をこすったりしてるうちに見えなくなってしまう。

怖い感じは全くなくて、手を伸ばして触ることもできるんだけど、すり抜けてしまうだけ。
何かもやっとした感触はあるんだけどね。

で、いろいろ考えてたら、こいつって宇宙人?とか思ってしまった。

回ってる感じがUFOが回ってるのと被る。

昔のSFだと、タコのような火星人だったり、今だとグレイっていう灰色っぽいのがよく描かれてる。
でもそれって実際は全く違っていて、存在の定義から違うような気もする。

だからもし宇宙人が本当にいれば、こんな不思議な存在なのかも……。

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心(魂)の浄化

あ~……左手が痛い。
ジンジン、ピリピリ……。

右手は熱いし。
低温やけどするんじゃないかってくらい。

んで、ながーい間、耳鳴りしてるし。
頭鳴りって言うのが正解かな。

普通、こういう症状出たら、間違いなく病院に行くと思う。
それが普通の行動だし。

でも、この症状、スピリチュアルな人から言わせると、アセンション(次元上昇)とか、魂の浄化の症状とか……。

さらに、見えないはずのものまで見えてくれば、それはもう、そっちの世界にどっぷりはまってしまうところ。

でもですね。
そういうのは、真実のようで、真実でないような気がしてます。

たぶんですよ。
昔、人間には、今と違う生活をしている時に、もっと別のモノを感じていたのだろうと思います。

野生動物が、事前に危険を察知して災害から逃れるように、人間にも今とは違った感覚があったのだろうと感じています。

ちなみに、うちのペット、私が瞑想して手がジンジンするとその手に寄って来て、びっくりしたような顔で、クンクンと匂いを嗅いできます。

今の普通の人には認識できない「ある種のエネルギー」を、昔の人は感じていたはず。

で、今、その感覚が徐々に復旧されてきている気がする。
この手の痛みも、そのせい。
痛みと言うか、過敏になってるんだと思う。
まだ上手く復旧できていないので、感度のコントロールができてないといったところかな。

精神疾患などはけっこう勉強してきたので、これが妄想の世界でもなければ、脳の異常によるものではないことは、ほぼ間違いないと思います。

ただ、世俗的な霊能者が言うような、オカルトチックなものでもありません。
元々、脳に備わっていた機能が戻ってきたという、それだけのこと。

まだ、はっきりと、視覚として感じるには至ってないけど、そのうち感じるようになると思う。
そうすれば、もっときちんとした説明ができるかも。

魂とか輪廻転生とか、科学とはかけ離れた世界のように思えるけど、事実はもっと単純で、精神世界と科学世界の垣根はきっと消える。

みんな、魂は意識体のように言ってるけど、本質はそうでなくて、ただのエネルギーなんだと思う。
そしてそれぞれが経験というデータを刻み込んでいる。
エネルギーだから、『個』というわけでもなくて、分離や統合することもある。

まだ、確証を得たわけじゃないけど、現時点ではそう感じてる。

余談だけど、時々、透明のエネルギーのようなものを観るんだけど、決まってグルグル回ってるんだよね。
太さは手の指くらいだったり、丸めた拳くらいだったりといろいろ。
長くて、先はどっちも良く見えないから、どっちに進んでるのかはわからない。

手で触ってみても、ジンジンが倍加したり、ぬくもりを感じたりするくらいで、いまひとつつかみどころは無い。

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オーラ? 目の錯覚?

……今日は快晴。 でも、すっごい花粉が飛んでる。
スギ花粉。 車から降りたくないのだ。
山から、ぶぉ~って舞い上がってる。
まるで、山が「はぁーっ!」って力入れて、オーラが立ち上っているみたいなのだ。

ん、オーラと言えば…

モノを、じぃ~~~…って見てると、その輪郭がわずかに光って見える。

『オーラが見えた!』って思う人もいるかもしれないけど、実はこれは目の錯覚。
ただの残像なのだ。

モノと背景のコントラストが強ければ強いほど、はっきり見えてくるのだ。

なんでかっていうと、人の目は、ずっと静止しておくことはできないからなのだ。

自分では止めてるつもりでも、常に揺れている。
(病的な揺れじゃないけど)

体も同じ。 真っ直ぐ立っているつもりでも、実は小さく揺れている。

自分じゃ感じないだろうけど、視点が揺れるせいで、その輪郭が残像として現れるってことなのだ。

怪しいセミナー、『オーラを見る方法を伝授します』なんていうのもあるけど、こういう目の錯覚を利用して、受講者を騙しているんだよ。

受講者も、なんだか自分が特別な力を得たような気がして、本当は騙されてるのに、ウソの方を真実だと思い込んでしまう。

実に困ったものなのだ。

そして、このスギ花粉も、同じくらい困ったものなのだ。

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青空にプラーナ?

天気のいい日に空をぼーっと見上げていると、キラキラ光る大量の光の粒子みたいなのが見えるのだ。

『おぉ! プラーナだ!』っていうスピリチュアルな人もいるけど……。

あ、プラーナっていうのは、生命エネルギーとか宇宙エネルギーとか言われるやつです。

これ、誰にでも見えるし。

で、プラーナなんていうものでもないのだ。

ブルーフィールド内視現象って言って、目の血管の白血球が見えてるだけなのだ。

これをプラーナだって力説してるスピリチュアルなサイトは、どっさり……。

自分で調べたり、検証とかやってないんだよね。

こんなんだからスピリチュアルが思い込みの世界だって言われるのも、仕方ない気もするのだ。

オーラもそう。

真っ白い壁とか、暗がりの中とかだと、目の錯覚で色のついた残像が見えるのも不思議なことじゃないんだけど、『これがオーラだ!』なんて言い切る人もいるし。

ホントのところ、勘違いや思い込みで書いてるスピリチュアルサイトが多くて、それが独り歩きして勘違いをどんどん増やしてる……。

自分が信じるのはいいけど、ウソを教えちゃいけないよね。

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引き寄せの法則は……

引き寄せの法則、これもスピリチュアルな面が強いよね。

でも、これって願いを叶えられると思ったら大間違いなのだ。

ボンビーな人が、『お金持ちになるぞ!』と思って、毎日、毎日、お金お金お金……って願ってても、お金持ちにはならないぞ。

『お金持ちになるぞ!』って強く願う人は、同じように『お金が欲しい』と思う人を呼ぶだけで、お金は手に入らない。

それでも強欲に、お金お金お金……って思ってると、お金に貪欲な人を呼び寄せて、お金が手に入りにくい状態にしてしまう。

本末転倒なのだ。

自分の欲求を叶えようとするんだったら、行動あるのみなのだ!

願いに向けて努力する。 

願いが大きければ大きいほど、大きな努力も必要だけど、それに見合うだけの『努力』という対価を払うことで願いは叶うのだ。

人によっては、対価が『努力』ではなくて、『財力』だったりすることもあるだろうけど、『願』や『欲求』っていうのは、何かを得るための対価にはならないんだよね。


大災害が心配で、不安を抱える人もいるよね。
でも災害が来ないように願ったり、考えてるだけじゃ不安は消えない。

こういう時、引き寄せの法則を説く人はどういうんだろうね?

『ポジティブに考えてください』とでも言うのかな?

心配なことを消すのも、やっぱり行動なんだよね。

災害が心配なら、事前に対策をしておく。 災害に遭って、身の危険を感じたら、行動を起こす。
身を守る為、不安を消すために、それに見合う行動をする。 これが正解なのだ。



同じ性質を持つモノは、互いに引き合うよね。 これは自然なことだから。

でも引き寄せの法則は、頭ばっかりでどうにかなると考えるから、結果がついてこない。

ネガティブに考えるのは、理由があるのだ。
それを全部捨てて『ポジティブに…』なんて言う、引き寄せの法則はとっても無責任だと思うこの頃なのだ。

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スピリチュアル

昔からそんなに興味があったわけでもないんだけど、それなりに「こういうのって、あってもいいよね」みたいな感じで捉えていたんだけど……。

最近、いろんなことがあって、普通の人が感じないようなものを感じてしまったり、見えないはずのものが見えたり……。
でも、もともと理系の思考の方が得意だったし、理論的に説明する方が楽だから、それを誰かに伝えようとは思わないのだ。

でもでも、スピリチャル系のサイトを見ていると、怪しいものばっかりでびっくり仰天!!

完全に商売化しちゃってる。

ヒーラー養成講座とか、もうわけわかりません。

お金を払えば、ヒーラーという癒し能力者になれるとかなんとか……。

ダメなのだ。 

そういうのは、違うのだ。

そのうちスピリチュアル系のサイトも作ろうかと思うけど、光と闇とか、チェネリングで神の言葉とか、カルマを浄化とか、大きな勘違い……中には確信犯もいるけど、読んでいると気分が悪くなるようなエゴイストたちの妄想がいっぱいなものに、みんなが騙されないようなものにするのだ。

ちなみに、人は神の道具じゃありません。

祈るだけで世界は救えないし、神に自分の人生を丸投げする人に、神は微笑みません。

お金を払ってもヒーラーにはなれません。……いや、別の意味ではなれるんだけど、それはヒーラーじゃなくて、自分を捨てるようなもの。

癒しって、誰かが与えるモノじゃなくて、自分で与えるものだから。

『私が癒してあげましょう』っていうのは、エゴイストだからね。

ヒーラーが癒したはずなのに、『癒されてない』って言えば、『あなたのカルマが……』って言われて、自分のせいにされる。

でも苦しんでいる人は、いろんなものにすがりたくなって騙されちゃうんだよね。

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命の重さ

人の死に触れるといろんなことを考えます。
他のことで自分のことをごまかしていても、忘れることはできません。

まだ整理しなければならないものがたくさんあります。
でも来月中には片付くでしょう。

ずっと使命感だけで生きてきた気がします。

親としてやるべきことと、あるべき姿。
子として受け入れなければならないこと、自分の役割。
夫として与えなければならないもの。

これからは、もう少し自由でいようと思います。
無理をしすぎました。
限界はとうに超えていたのに、歩みを止めることはできませんでした。

でも、もうこれくらいで自分を許してあげようと思います。

本当の自分の価値を捨てて、必死で生きてきたけれど、頑張っても頑張っても、大切なものは減るばかりです。

命の重さ、心の尊さ、それを簡単に測ることはできません。

ただ、本当の自分を失っては、それを知ることさえままならない。

誰のためでもない、自分のために生きようと思います。

それが結果的に、周りの人を大切にすることにもつながる。

冷静に判断すること、失敗のない判断をすること……それに徹していたのに、間違った判断ばかりです。
周りの人は「間違った」とは言いません。
「当然の判断だろう」と言います。
だけど、失敗しないことが、いつも正しい結果を生むとは限らない。

失敗しないことは、みんなにとって良いことだと思っていたこと自体、間違いだったように思います。

人として自然体でいること。

自分を大切にできること。

それが自分に今できる、残された僅かなこと。

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虚無感

なんだろうね……頑張る元気が出ない。

これまでも辛いことが何度もあって、その度に自分を奮い立たせて頑張ってきたけど、今はこれまでとは全く違うんだよね。

すべてを無くしたらたぶん困ると思う。 でも、無くすことに不安の無い自分が居て、今に満足しているわけじゃないのに、前に進もうと思わない自分が居て……。

守るものがなくなったわけじゃない。

でもね、ずいぶん減っちゃった。

やることはたくさんありすぎるのに、頭がそれについていかない。

必死で積み上げてきたものが、実は全く意味のないもので、みんながそれに付き合っていてくれただけ……今はそういう気持ち。

ホントはそうじゃないんだよ。

それもわかってる。

……いろんなことが有り過ぎただけなんだ。

辛いよ。 本音を言えば、ものすごく辛い。

でも、それを誰かのせいにすることはできないし、やっちゃいけない。

生きるって大変だよ。 

時には自分の存在を全否定されることもあるし、自分でそれをやっちゃうことだってある。

逃げることもできず、戦うこともできず、ただ非難されながら時が過ぎるのを待つしかない……。

なんだろね……ただ、頑張ってきただけなのに。

まだ、頑張れって言われてるんだろうね。 でもね、頑張るにはもう力不足だよ。

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