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川崎市中学生殺害事件で考えること

川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、上村遼太さんが殺害された事件で、やっと少年3人が逮捕されました。

少し前からインターネット上では、犯人と思われる少年の名前や顔写真が出回っていましたが、テレビでモザイクのかかった画像と同じですので、情報は間違ってなかったと思われます。


実刑が確定する前に実名報道するのは、問題があるのかもしれません。
誤報ももちろんいけません。

ただ、被害者の少年やその家族のプライバシーは保障されずにどんどんメディアで掘り下げられるのに、このことは何の議論もされず、犯人に対して擁護するような声ばかりが表面化するのは、とても不思議です。

叩く人が増えれば増えるほど、それを守ろうとする人が増えるのは、ある意味では自然ですが。


昨日の逮捕の報道では、少年は弁護士と一緒だったそうです。
そして、未だに否認し続けています。

逮捕前に、すでに逮捕されるとわかっていたから弁護士を用意したのでしょうけど、やっていないのであれば、弁護士は必要ありません。

ここで、非常に大きな悪意を感じました。 親子共にです。

被害者に対しての謝罪は微塵も感じることはできません。
日常的な暴力は、周りの証言からすでに否定できない状況にあります。

少年犯罪に関しては、『家庭裁判所』が裁きます。
警察、検察は、調べることはしても、裁判に立ち入ることはできません。
これが少年法によるものです。

14歳未満の子供は、刑事罰を与えることができません。
これは刑法に定められています。

悪質犯罪の場合、通常は、家庭裁判所で刑事罰を与えることが必要とされた時に限り、家庭裁判所が検察に送致します。
そうなると検察は起訴することになり、少年事件としてではなく、刑事事件となります。
ただし、18歳未満には死刑判決はできないことになっています。

強姦目的で女性と赤子を殺害した『光市母子殺害事件』では、刑事事件となっていますが、山口地裁では、更生の余地があるとして『無期懲役』。
当然、死刑を求めて検察は控訴しますが、広島高裁はそれを棄却します。

成人ならば、死刑判決を受けるべきであるのに、未成年と言う理由で無期懲役。
いずれそれも恩赦で社会に出てくるところでした。

しかし、この犯人は、全く反省していない内容の手紙を友人に送ります。
これを検察は証拠とし、また、被害者の夫は必死に社会に訴え続けました。
自分の人生を投げ打って戦い続けているように見えました。

なぜ、被害者が最後まで辛い思いをさせられるのか、とても悲しく感じたのを良く覚えています。

そして、社会の声が後押しとなり、最高裁は広島高裁の判決を破棄し、審理を高裁へ差し戻すことになります。

その後に、やっと死刑の判決が下ります。

判決に納得できない犯人は、上告しますが棄却され、死刑確定となりました。

被害者の家族の必死の訴え、社会の後押しがなければ、無期懲役で終わっていたと思います。
犯人の謝罪の気持ちが本当なら、死刑判決も素直に受けるでしょう。
他人は簡単に殺すけど、自分は死にたくない……そういう身勝手な考えしかない犯人が更生するのは不可能です。


今回の川崎市での事件も同じです。
最初から弁護士を連れてくるということは、事件の真相を語るつもりは無く、自分が有利になりたいだけであるということが容易に推測されます。

今は否認していますが、状況が悪くなれば、弁護士は「更生の余地がある」「殺意はなかった」といってくるでしょう。
だから社会は、厳しい目で最後まで見ているべきです。

『光市母子殺害事件』の被害者のご主人のように、強い意志で立ち向かえる人は少数です。
被害者の多くは弱い存在です。
自分で戦えない人がほとんどです。
だから社会が厳しい目で見ていなければいけない。

私はそう思うのです。

上村くんのご冥福を祈ります。

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心(魂)の浄化

あ~……左手が痛い。
ジンジン、ピリピリ……。

右手は熱いし。
低温やけどするんじゃないかってくらい。

んで、ながーい間、耳鳴りしてるし。
頭鳴りって言うのが正解かな。

普通、こういう症状出たら、間違いなく病院に行くと思う。
それが普通の行動だし。

でも、この症状、スピリチュアルな人から言わせると、アセンション(次元上昇)とか、魂の浄化の症状とか……。

さらに、見えないはずのものまで見えてくれば、それはもう、そっちの世界にどっぷりはまってしまうところ。

でもですね。
そういうのは、真実のようで、真実でないような気がしてます。

たぶんですよ。
昔、人間には、今と違う生活をしている時に、もっと別のモノを感じていたのだろうと思います。

野生動物が、事前に危険を察知して災害から逃れるように、人間にも今とは違った感覚があったのだろうと感じています。

ちなみに、うちのペット、私が瞑想して手がジンジンするとその手に寄って来て、びっくりしたような顔で、クンクンと匂いを嗅いできます。

今の普通の人には認識できない「ある種のエネルギー」を、昔の人は感じていたはず。

で、今、その感覚が徐々に復旧されてきている気がする。
この手の痛みも、そのせい。
痛みと言うか、過敏になってるんだと思う。
まだ上手く復旧できていないので、感度のコントロールができてないといったところかな。

精神疾患などはけっこう勉強してきたので、これが妄想の世界でもなければ、脳の異常によるものではないことは、ほぼ間違いないと思います。

ただ、世俗的な霊能者が言うような、オカルトチックなものでもありません。
元々、脳に備わっていた機能が戻ってきたという、それだけのこと。

まだ、はっきりと、視覚として感じるには至ってないけど、そのうち感じるようになると思う。
そうすれば、もっときちんとした説明ができるかも。

魂とか輪廻転生とか、科学とはかけ離れた世界のように思えるけど、事実はもっと単純で、精神世界と科学世界の垣根はきっと消える。

みんな、魂は意識体のように言ってるけど、本質はそうでなくて、ただのエネルギーなんだと思う。
そしてそれぞれが経験というデータを刻み込んでいる。
エネルギーだから、『個』というわけでもなくて、分離や統合することもある。

まだ、確証を得たわけじゃないけど、現時点ではそう感じてる。

余談だけど、時々、透明のエネルギーのようなものを観るんだけど、決まってグルグル回ってるんだよね。
太さは手の指くらいだったり、丸めた拳くらいだったりといろいろ。
長くて、先はどっちも良く見えないから、どっちに進んでるのかはわからない。

手で触ってみても、ジンジンが倍加したり、ぬくもりを感じたりするくらいで、いまひとつつかみどころは無い。

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オーラ? 目の錯覚?

……今日は快晴。 でも、すっごい花粉が飛んでる。
スギ花粉。 車から降りたくないのだ。
山から、ぶぉ~って舞い上がってる。
まるで、山が「はぁーっ!」って力入れて、オーラが立ち上っているみたいなのだ。

ん、オーラと言えば…

モノを、じぃ~~~…って見てると、その輪郭がわずかに光って見える。

『オーラが見えた!』って思う人もいるかもしれないけど、実はこれは目の錯覚。
ただの残像なのだ。

モノと背景のコントラストが強ければ強いほど、はっきり見えてくるのだ。

なんでかっていうと、人の目は、ずっと静止しておくことはできないからなのだ。

自分では止めてるつもりでも、常に揺れている。
(病的な揺れじゃないけど)

体も同じ。 真っ直ぐ立っているつもりでも、実は小さく揺れている。

自分じゃ感じないだろうけど、視点が揺れるせいで、その輪郭が残像として現れるってことなのだ。

怪しいセミナー、『オーラを見る方法を伝授します』なんていうのもあるけど、こういう目の錯覚を利用して、受講者を騙しているんだよ。

受講者も、なんだか自分が特別な力を得たような気がして、本当は騙されてるのに、ウソの方を真実だと思い込んでしまう。

実に困ったものなのだ。

そして、このスギ花粉も、同じくらい困ったものなのだ。

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青空にプラーナ?

天気のいい日に空をぼーっと見上げていると、キラキラ光る大量の光の粒子みたいなのが見えるのだ。

『おぉ! プラーナだ!』っていうスピリチュアルな人もいるけど……。

あ、プラーナっていうのは、生命エネルギーとか宇宙エネルギーとか言われるやつです。

これ、誰にでも見えるし。

で、プラーナなんていうものでもないのだ。

ブルーフィールド内視現象って言って、目の血管の白血球が見えてるだけなのだ。

これをプラーナだって力説してるスピリチュアルなサイトは、どっさり……。

自分で調べたり、検証とかやってないんだよね。

こんなんだからスピリチュアルが思い込みの世界だって言われるのも、仕方ない気もするのだ。

オーラもそう。

真っ白い壁とか、暗がりの中とかだと、目の錯覚で色のついた残像が見えるのも不思議なことじゃないんだけど、『これがオーラだ!』なんて言い切る人もいるし。

ホントのところ、勘違いや思い込みで書いてるスピリチュアルサイトが多くて、それが独り歩きして勘違いをどんどん増やしてる……。

自分が信じるのはいいけど、ウソを教えちゃいけないよね。

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引き寄せの法則は……

引き寄せの法則、これもスピリチュアルな面が強いよね。

でも、これって願いを叶えられると思ったら大間違いなのだ。

ボンビーな人が、『お金持ちになるぞ!』と思って、毎日、毎日、お金お金お金……って願ってても、お金持ちにはならないぞ。

『お金持ちになるぞ!』って強く願う人は、同じように『お金が欲しい』と思う人を呼ぶだけで、お金は手に入らない。

それでも強欲に、お金お金お金……って思ってると、お金に貪欲な人を呼び寄せて、お金が手に入りにくい状態にしてしまう。

本末転倒なのだ。

自分の欲求を叶えようとするんだったら、行動あるのみなのだ!

願いに向けて努力する。 

願いが大きければ大きいほど、大きな努力も必要だけど、それに見合うだけの『努力』という対価を払うことで願いは叶うのだ。

人によっては、対価が『努力』ではなくて、『財力』だったりすることもあるだろうけど、『願』や『欲求』っていうのは、何かを得るための対価にはならないんだよね。


大災害が心配で、不安を抱える人もいるよね。
でも災害が来ないように願ったり、考えてるだけじゃ不安は消えない。

こういう時、引き寄せの法則を説く人はどういうんだろうね?

『ポジティブに考えてください』とでも言うのかな?

心配なことを消すのも、やっぱり行動なんだよね。

災害が心配なら、事前に対策をしておく。 災害に遭って、身の危険を感じたら、行動を起こす。
身を守る為、不安を消すために、それに見合う行動をする。 これが正解なのだ。



同じ性質を持つモノは、互いに引き合うよね。 これは自然なことだから。

でも引き寄せの法則は、頭ばっかりでどうにかなると考えるから、結果がついてこない。

ネガティブに考えるのは、理由があるのだ。
それを全部捨てて『ポジティブに…』なんて言う、引き寄せの法則はとっても無責任だと思うこの頃なのだ。

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スピリチュアル

昔からそんなに興味があったわけでもないんだけど、それなりに「こういうのって、あってもいいよね」みたいな感じで捉えていたんだけど……。

最近、いろんなことがあって、普通の人が感じないようなものを感じてしまったり、見えないはずのものが見えたり……。
でも、もともと理系の思考の方が得意だったし、理論的に説明する方が楽だから、それを誰かに伝えようとは思わないのだ。

でもでも、スピリチャル系のサイトを見ていると、怪しいものばっかりでびっくり仰天!!

完全に商売化しちゃってる。

ヒーラー養成講座とか、もうわけわかりません。

お金を払えば、ヒーラーという癒し能力者になれるとかなんとか……。

ダメなのだ。 

そういうのは、違うのだ。

そのうちスピリチュアル系のサイトも作ろうかと思うけど、光と闇とか、チェネリングで神の言葉とか、カルマを浄化とか、大きな勘違い……中には確信犯もいるけど、読んでいると気分が悪くなるようなエゴイストたちの妄想がいっぱいなものに、みんなが騙されないようなものにするのだ。

ちなみに、人は神の道具じゃありません。

祈るだけで世界は救えないし、神に自分の人生を丸投げする人に、神は微笑みません。

お金を払ってもヒーラーにはなれません。……いや、別の意味ではなれるんだけど、それはヒーラーじゃなくて、自分を捨てるようなもの。

癒しって、誰かが与えるモノじゃなくて、自分で与えるものだから。

『私が癒してあげましょう』っていうのは、エゴイストだからね。

ヒーラーが癒したはずなのに、『癒されてない』って言えば、『あなたのカルマが……』って言われて、自分のせいにされる。

でも苦しんでいる人は、いろんなものにすがりたくなって騙されちゃうんだよね。

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