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詩と言葉と小説と

人に何か想いを伝えるって、とっても大切なこと。
でも同じ想いでも、表現の仕方によって伝わり方は違うのだ。

詩って韻が大切だよね。
文字の羅列にしか過ぎないものでも、韻を踏むことによってリズムができて
優しく沁み込んでいく。
だから、思いやりがあったり、感慨深いものには詩がよくあうし、逆に激しくて
暴力的なものには逆効果。

激しい感情を表現するなら、言葉そのものをぶつけるのがいいね。
口語体で書き綴れば、ストレートな心がそのままぶつかってくる。

小説なら今の自分じゃない、誰かに代わって想いを語ることができる。
小説の中ならなんにでもなれるし、環境だって自由になる。
でも、自由だからこそ、自分の伝えたい想いをきちんと持っていることが大切になるけど。

詩人であり小説家であり、また時々は普通の人であり……
そうやって想いを書き続けられたら、黒いネコは幸せなのだ。o(*^▽^*)o~♪

……でも今は、それに程遠いけどね。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

うーん・・・確かに韻って大事ですよね。
僕は曲ありきの「詞」を書くので
そうじゃないときも結構ありますが・・・

あ、すみません。初コメです。

記事がちょっと気になったので(^^;)
不愉快なら削除して下さい。

投稿: 花月 | 2008年7月 7日 (月) 18時26分

花月さんはじめまして。
不愉快だなんて、とんでもないです。

私も音楽と文学は全く別物とは思っていないので、曲ありきの「詩」はすごくいいと思いますよ。
小説を書くときにも、音楽を流していた方がいろんな感情が湧き上がってイメージが膨らみます。
でも残念ながら、音楽に関してはまるで才能なしなんです。( iдi )
花月さんはどうですか?
ピアノやギター弾きながら、詩を書いていそうですね。

それとなんでもそうですが、読み易さって大切ですよね。そういう意味でも韻って大事だと思うんです。
では、創作がんばってください。

投稿: 黒いネコ | 2008年7月 7日 (月) 22時56分

是非僕のところにも遊びにいらしてくださいhappy01
ここはリンクフリーですか?
みたところメールフォームがなかったのでコメントで訊ねてみます。
素敵なブログなのでリンク、そして欲を言えば相互リンクとかになりたいです。

投稿: 花月 | 2008年7月 8日 (火) 09時53分

黒いネコさん、花月さん、「詩の言葉と小説と」、私もまぜてください。あ、それから、黒いネコさん、風邪はどうですか? よくなられたように思われますが!夏風邪は、寝ていても体がべたつくし、冬の風邪より不快なこともあります。気をつけましょう。

詩にもいろいろありますよね。日本古来の定型詩、きまりをとっぱらった現代詩、花月さんが書かれているような音楽にのった詞。すぐれた詩はどれも短い言葉で、人々の心をかっさらってしまいます。さて、私たちは言葉と一言で言いますが、そもそも言葉とは単純に物の名前や動作を表す記号としての言葉と、その言葉自体が指し示す奥深い意味がありますよね。で、詩の言葉というのはその言葉の持っている背景の意味の比重がとても重いものだと思うんです。本来、言葉とは不完全なもので、私たちがお互い言葉を使って相互理解を図ろうとしても、それはなかなか完璧にはできません。が、それぞれの無意識に言葉の直球が投げられたとしたらどうでしょう。送信機と受信機の関係にも似ていますが、周波があえば、鮮明に受信できるのです。
たとえば、昔、はやった「五番街のマリー」という詞を例にとりましょう。知らないかなあ!
 五番街に、マリーという名前の昔、捨てた女がいるんです。男はそれを甘く悔やんでいる。今どういうわけか、その女のことがとても気にかかる。
どうしているのか。見てきてほしいと歌います。
 で、その詩の中に、五番街は近いけれど、とても遠いところ、という言葉があります。この歌が流行っていた時、私はまだ十代で言葉の意味もわからず鼻歌で歌っていました。が、今はよくわかります。
五番街は地理的には近いのです。自分でもいける距離。けど、心理的な何かと長い時間がこの男と五番街を遠く隔てている。遠いのです。私は学生時代を京都で過ごしました。兵庫の片田舎の私が住む町から京都には車で一時間もあれば行けます。けれど、なつかしくて行ってみても、そこはかつての京都ではない。今の京都です。わたしが生活した京都には
行くことができません。不可能に遠い。そこのところをこの詩は歌っていたのだなあ、とうん才になった私は実感として受けとめることができます。
音楽も、韻を踏む詩も小説も、自分ではない他者に何かを伝えるものですよね。人間って孤独だから、お互いの溝を埋めようといろいろ試みるのではないでしょうか?
花月さん、いい歌をつくってくださいね。おばちゃんも時々、ストリートで歌っている若者に立ち止まって拍手することがあります!
黒いネコさん、韻を踏むって聴いているほうはとても気持ちいい。ラップは完全に現代の新しい詩だと思います。ところで、ミニトマト、バッタにやられたそうで、残念でしたね。やつらをあなどってはいけませんよ!殿様バッタは雑食で大食いで、以前我が家は子どもが飼っていた鈴虫を全部食べられたことがあります。それでは、長くなりましたが、みなさんがんばりましょう。私はこれから冷蔵庫の掃除!ヤダヤダ

投稿: 森くま堂 | 2008年7月 9日 (水) 17時33分

花月さん、リンク貼っておきました。

森くま堂さん、お気遣いありがとうございます。
「五番街のマリー」阿久悠ですね。
この詩はあの時代をよく表していますよね。
何もかもが新しく急速に変わっていく中で、捨て切れない何かを引きずっていく……そういう感情に共感した人が多かったのかも。
確かに昔には戻れないし、あの頃の自分と同じ自分ではいられない。
でも、昔の思い出の場所に行くと、あの頃は気がつかなかったことに、今は気が付く自分がいる。
少し成長したってことかな。
忘れないことも大切。それと同じくらい、変わることも大切ですよね。

そうですね、言葉って自分を理解してもらうのにも、相手を理解するのにも大切な役割を担っています。すごく落ち込んでいても、何気ない一言に救われることもあるし。

私はやっぱり救いのあるお話を書きたいですね。
落ち込んだ時、寂しい時、思わず広げて読みたくなるような物語。
いつまでも本棚において、繰り返し読みたくなるようなお話を。
森くま堂さんはどうですか?
雰囲気的には児童文学か現代小説みたいなものを書きそうに見えますよ。

……鈴虫を食べるバッタですか。(*ロ*;)
何かホラーだ。..・ヾ(。><)シ
こわい……。

投稿: 黒いネコ | 2008年7月 9日 (水) 23時16分

黒いネコさんの作品が読者に救いをあたえるものだということは、本当によくわかります。だからこそ、このブログを読むと、とても爽やかな気持ちになって元気がでるのでしょう。作品は人柄をやはり反映してしまうものです。それから、「昔の思い出の場所に行くと、あの頃には気づかなかった何かに気づく」はっとしました。そうですよね。そのとおり。私もいっぱい気づかなければ。

 さて、先日、詩の言葉は、相手の無意識の領域に直に訴えるものだと書きましたが、小説はどうでしょう。私はこのごろつくづく思います。小説は誰のものか?もちろん、私は自分の気持ち、考えを吐露したくて書いています。が、小説というのは、それを読む相手、読者がいて初めてなりたつもので、ただ、自分の意識世界をつづっているだけでは「ほんじゃま、ごくろうさん」てことで終わってしまいます。読み手が文字を読んで、もう一度、読み手の中で組み立ててそこで始めて小説として成り立つわけです。あたりまえだとおっしゃるでしょうけど、これが難しい。インドのお話に三人の盲人が象を触る話があります。一人は管のような物だと言い、一人は毛のはえたごわごわした絨毯みたいだと言います。最後の一人は左右にふれる紐だったというのです。これは私たちが読書する状況と非常に似ています。小説を理解するには書き手の言葉だけがたよりなのです。だから、書き手はいろいろなヒントやわなを張り巡らす必要が出てきます。読み手はそれを咀嚼し、自分の持っている知覚を通して再現する。
あくまでも最終的には、小説は読み手のものだと私は思います。だからこそ、「寒い」といってしまえば終わるところを、「裸の街路樹の枝が白く光っている」なんてまどろっこしいことを書かねばなりません。読み手がその世界を自分で再構築できるように。小説って、なんて不自由なものでしょう。けど、それだからこそ惹かれる。面白い。難しいけど、書き続けていれば、いつか、人の心に到達する作品ができるでしょうか?

トノサマバッタは本当に恐ろしい。写真見ました。少し笑いました。ごめんなさい。
うちの場合、子どもが足が一本取れて死にそうなバッタを拾ってきて、草食だと思っていたので、鈴虫のかごの中に、「仲良くしてあげてね」と入れたのです。その晩から鈴虫は鳴かず、毎朝、4,5匹がぺちゃんこになって死んでいました。ある日、私はバッタが鈴虫を抱え込んでちゅうちゅう体液を吸っているのを目撃しました。キャー
殺人鬼をかごの中に放したのと同じだったのです。もちろん、バッタはすぐに外に出して草原に捨てました。ホラーな夏でした。

投稿: 森くま堂 | 2008年7月10日 (木) 23時09分

森くま堂さん、お褒めの言葉ありがとうございます。m(_"_)m

読み手が再構築できるように……。
その通りですね。
でもそれがなかなか難しい。"r(^^;)
どこまで削って、何を加えるか……いつも悩んでばかりです。

>いつか、人の心に到達する作品ができるでしょうか?

できると思いますよ。o(*^▽^*)o~♪
メルマガ書いていた時に、読者からメールを何度かもらいましたが、どれもうれしいものでした。
それこそ、小学生から50代まで。
文字を通して心は繋がる……そう思いますよ。

バッタは……嫌いになりました。(¬ー¬)


投稿: 黒いネコ | 2008年7月11日 (金) 16時31分

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