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文部科学省に物申す(*`ε´*)ノ

ちびねこの家庭訪問があって、担任の先生と話していた時の話で驚いたことがあった。
たぶん、「当たり前でしょ」と思う人と「えーっ!」と思う人がいるはずなんだけど……

最近の小学校では、『学級委員』がないんだって。もちろん生徒会も……。
びっくりでしょ。(*・0・*)

みんな平等に……みんなにチャンスを……っていう指導方針らしいけど、これって平等じゃないような気がする。
役割と責任っていうのは子供たちにとっても大切なもので、社会性を学ばせるには必要なことだよね。d(^-^)
個人の能力は様々で、できる子もいればできない子もいる。
それを全員が平均点の子供にしようとするから、ひずみが生まれてしまうんじゃないかな。

勉強はできても運動ができないことも、その逆もある。
クラスの代表である学級委員だという責任があれば、いじめられている子を発見した時にも、責任感が働いて行動するだろうし、また、クラスの代表だという権限があるからたいていの子は指示に従うはず。
できる子ができない子を助けたり、また助けることによって多くを学んだり……。

残念だけど人の能力は平等じゃない。
でも、社会としては平等でいられる。
クラスの中にも個人差があって、一人の中にも能力の凸凹があって、できたりできなかったり……。
それをお互いに助け合ったり、時には競争したりしてひとつになるんだと思う。
そこに相手を気遣い心が生まれ、人を尊重する意味を知り、平等という本当の意味を知るんだと思う。

クラスにリーダーの存在がなくて、誰もが横一線に並んだら、まとまりがなくなって当然だよね。
それは子供でも同じ。
責任の無いところにモラルなんて生まれない。
競争の無いところに繁栄なんて存在しない。

頭が悪いことは罪じゃない。
運動ができないことも罪じゃない。
ただ、できない自分を恥じて、努力することは大切です。
周りはそれを応援する気持ちをもつことが大切です。

みんなが平等、みんな同じ、だれもが同じように行動するなら、いじめられている子の行き場はどこにあるんだろう。
いろんな考え方があって、いろんな立場があって、だからいじめっ子もいれば、それを叱る子も出てくる。

文部科学省の言ってることは「いじめをなくしましょう」と訴えるだけだけど、今のシステムは間違ってると思う。
ぼくらの頃は、いじめっ子がいて、優等生がいて、おすましやもいればキザ男も居た。
決して仲が良かったわけでもないけれど、誰とでもぶつかりあえた。
ぶつかって嫌な思いをしながら、相手を尊重することを学んだ。
……そうしないと、自分も痛いから。

でも今は違う。
誰かとぶつかることを悪だとされてしまう。
だからぶつかることをせずに、痛みをしらずに大きくなっていく。

そして口先だけの平等を学んで大きくなっていく。

教育ママゴンと闘っていたぼくらには、ぼくらだけの正義があった。
だから今は、良き戦い相手だった教育ママゴンには感謝しています。
ぼくらに厳しさや痛みを教え、ぼくらにいろんなことを考えるきっかけを与えてくれたこと。


教師を教育することは確かに必要かもしれない。
でももっと必要なのは、子供たちにいろんなことを挑戦させること、競争させること。
一番になる喜び、負ける悔しさを感じること。
努力する方法を学ぶこと。

……そして、人の痛みを知って、手を差し伸べる勇気を持つこと。

僕はそう思う。

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